オーディオ機器を整えて音の鮮度、立ち上がりなどの物理特性を高めてゆくと、感触(音触?)、力感、浸透力、音場感などが改善されてくる。
これは理屈無しに楽しい世界なので、音(サウンド)マニアというのも充分に成り立つ趣味である。この場合はチューニングのベクトルは良い音、そのものにある。
従って音のソースは、どちらかというと、演奏よりも、とにかく録音の良いアルバムが優先され、それを如何に迫真の音に再生するかチャレンジするのが主な関心事となる。
故長岡先生は教会でのワンポイント録音や自衛隊のLPを試聴されていたことで有名である。 部屋がまるでヨーロッパの厳かな教会になって、天井が猛烈に高く感じられたり、部屋が富士山麓の演習場になったり(笑)する音のイリュージョン。これは痛快であるし、ハッキリ言ってカナリ面白い世界だ。 時にはライバル心を燃やして競い合ったり、刺激しあったりという熱い部分もあったかと思う。
私も正直、学生の頃などに一時期大変嵌っていた。しかし最近は音楽がメインになって、機器選択、チューニングもかなり変わってきた。自分の好きな音楽、ジャンルが明確になってきたことが原因だと思う。
あくまで音楽にプライオリティーがあって、それに合わせて音のチューニングをするという順番になってきた。
ま、本来あたりまえの話・・・・なのであるが、ようやくそういった感じでオーディオのチューニングをするようになってきた。そうすると、アルバムによっては、かなり凄みのある音楽再生も可能となる。
うまくすると、目を閉じると目の前で演奏している・・・感じになるので、往年のミュージシャンのまさにご光臨・・・・である。マイクの前に立って、口が近づいてきた感じがしたり、スタジオやステージ周囲のざわついた雰囲気がありありと浮かび上がったり。
しかも音量や音像や迫力は自分の好みで調整し放題。これは楽しい。
ワタクシ的には、音像、音塊一つ一つに、如何に力感を込めるか、そしてフォーカスはシャープだが絞めすぎず、ほんの僅かに輪郭をフワリとさせる(僅かなトロリ感、フワリ感、浮遊感を付ける)感じで整えている。 芯は入っているがエッジは尖らせない適度なシャープさ(?)。ちょっと聴きはごくフツーの音に(わざと)するようにしている。
そうすると、まるで目の前で演奏していただいている・・・・・迫真のリアリティ・・・にも関わらず、なおかつこれは再生音楽ですよね・・・・・的なほのかな安心感もあって、幅広いソースに適応でき、長時間リラックスして試聴を続けることができる。
暗騒音や雰囲気、音のエッジを狙いすぎるとかえって音楽に集中できなくなってしまうので、そういった要素の音も充分に出ているけれども、エネルギー的にごく控えめになるようにしている。
最終的にそういう調整が出来ると、音楽、音に長時間集中でき、演奏そのものに心底浸れるという訳である・・・。
以前はそういった辺りが上手くコントロールできず、機械、雑誌、ショップ等に振り回されていたナ・・・というのが正直なところである。
また、ビンテージ機器にしても、ハイエンド高級機にしても、機器そのものの音色が美麗過ぎない方がよく、程々が良いのではないかなとも思う。そういう意味では実直、愚直に作られていた黄金期の日本製品や米国のプロ用製品(特に戦直後の機器など)は扱いやすい。
振り返れば、プレナー型の導入、管球アンプ(ロフチン、大型三極管)、CDプレーヤーのチューニング、15インチビンテージユニット、コンプレッションホーンの導入などがブレークスルーになったと思う。
こういうシブイLPも、実に楽しく聴くことが出来る。自分自身にとってのミュージシャンのイメージや評価そのものが変わってくるほどだ。非常にありがたいことである。
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