2008年4月28日月曜日

オーディオの沼と飛躍

オーディオのキャリアを持つ人は、ある種の「洗礼」、あるいは「痛い沼」を経験しておられるのではないかと思う。




「洗礼」とは、ガツンとノックアウトされること。想像を超える音世界に衝撃を受ける。

分厚いキャリアのある、マニア宅などを訪れると、そういった経験ができる場合がある。それが良いか悪いかは別として・・・・。

「痛い沼」とは、努力や投資の割には、さほど報われない、無駄な努力を積み重ね、彷徨い続けること。

どちらも経験、ということになる。

一方、予想外の 「飛躍」 という有り難い経験もある 「痛い沼」を彷徨って 何らかの「洗礼」を受けて突然ブレークスルーが起こると、音世界が豹変したようにめざましく向上する場合がある。

いずれにしても「飛躍」を遂げるには、センスもさることながら、「継続」と「キャリア」がモノをいうことは確かだ。

一口にキャリアと言っても、ただメーカー製の機器を購入して、それを繋いで、ほどほどの処で他の機種に乗り換える・・・・を何度も繰り返しているだけでは、(機器の値段のランクを極端に上げていかない限り・・・ 笑) めざましい飛躍は起こにりくいような気がする。

一方、実になる経験、キャリア というモノもあり、例えば音の出口であるスピーカーに関して、自作を含め、徹底した、幅広い経験をすると、それが後々大いに生きてくることが多い。

16cmから20cmクラスのフルレンジ一発、メーカー指定箱を作ることが、どんなに素晴らしい経験になるかは、やってみた人でなければわからない。

学生時代、あり合わせの材料でダイヤトーンの610DBの指定箱を作り、FM放送を始めて聴いたときはアナウンサーの声に驚いたものである。その後は金子英男式に順次改造し、ユニットフレームの徹底強化、ランバーコア材、ブチルの複合2重箱、レジンコンクリートとコルク材を使ったフロントバッフルの無共振化、2ウエー化などで徐々に進化し、一本35キロのシステムとなった。フルレンジのバスレフ動作を徹底的に追求するだけで、めざましくナチュラルかつハイファイな音になることを経験したのは有り難かったと思う。

(ただし、最近は自作に適当なユニットそのものが無く、こうした経験を積むチャンスがほとんど無くなってしまったのは悲しい。人の声帯域を一つのユニットでシームレスに再生することの大切さ、ネットワークなどの夾雑物の入らない音の良さは、最近のハイエンドシステムに再導入され、見直されつつある、基本中の基本のコンセプトなのだが・・・・・)

箱の板材、箱の強化、2ウエイ化、ネットワークを通った音、チャンデバを通した場合の音の変化・・・・

さらには、プレナー型システム、コンプレッションホーンのシステム、ビンテージユニットなどなど、それぞれに得失がある。それぞれに得難い魅惑的な世界がある。

やや極端な(?)道もある・・・。バックロードホーンやフルレンジの平面バッフル、超小型点音源システムや超大型システム、超高能率システム、極端なマルチウエイシステムなどなど・・・。

これらの世界は実際かなり魅力的である。が、自分の力量を超えたシステム(沼)にトラップされると、なかなか抜け出せない・・・・。時として本当の楽しさを失い、自分の好きな音、音楽そのものを見失う危険性すらはらんだ、カナリ危険な世界でもある。


206AXA アメリカ人の前所有者が、リコーンの際にビニール製の不可思議なエッジに交換していた。なぜこんなことをしたのか大いに謎である。 音は案外問題ないのも不思議



まあ、あまり肩肘張らずに、基本に忠実なところから、一つ一つ積み重ねてゆくのならば、オーディオはなかなか飽きることがない、まことに有り難い趣味である。

ただ真っ直ぐに基本に沿うだけでなく、時として定道を外れる冒険をも厭わなければ、本当に自分好みの音世界に出会えるのではないかと思う、今日この頃である。

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