2017年10月9日月曜日

そろそろSummaryの必要な時期かもしれないので・・一応書きます(爆)3 変化球しか知らなかった私達

前稿から続く
シネマ黄金時代、音響システムに叡智と資金が集中していた時代、ベル研 ウエスタンエレクトリック、ALTEC JBL Stephenseから個人にも扱える(能力は限界値)の機器がリリースされる。

 このような絶妙なタイミングで理想主義的に設計された機器は、当時、原音再生、特に音声帯域の再生に重点を置く設計であるため、とにかくリアルで、迫力があって、原音に近い音が出てくるのに驚嘆します。(ただしきちんとメンテされ、調整された場合)
 
 ところが日本の一般コンシューマーにはこれらの情報はあまり伝わらず、微妙な入り方をしたようです。高嶺の花だったのが1番、また当時アメリカやヨーロッパの情報は(なにせ敗戦国でしたから)きちんと伝わりにくかったのもあるかと思います。唯一の接点は米軍関係者の交流の場で使用される機器や本格的なシアターの設備として導入されたものであったかと思います。
 日本では三菱電機が6半フルレンジ(BBCモニター基準に合致)を出し、またNHK放送局モニターを設計製造して日本のモニターは繊細な日本らしい世界を築き、またヤマハはピアノ製造技術からNS1000Mという凜としたコンパクトモニターの世界を開拓し、多くの追従者が現れました。
 さらにジャズ喫茶、ジャズブームと関連してJBLのモニターがどんどん輸入され、特に43系はあの巨大で高額な機器をよくもまあ無理して買ったなというほど大ヒットしたらしく、あの時代のステータスシンボルともなりました。

 一方、こうした流れにはなかなかついて行けない一般庶民としては、月給やボーナスをつぎ込んだり、あるいはSP一つが59800円近辺のコンポ(死語)をFM雑誌の視聴記事を頼りに買い集めて レンタルのLPレコードを再生して悦に入るのがやっとの思いでした(汗)

 高級雑誌や有名人のお宅訪問で必ず話題になる高級オーディオの世界 (いつかはクラウンやベンツに相当する いつかはJBLやタンノイだったのかもしれません)がなんとなくうらやましい・・・、いったいどんな音がするのだろうか?と想像しておりました(なつかしや・・・)

 そこに救世主の如く現れたのが長岡鉄男先生でありました。我々にも購入可能な(そこがツボ)ユニットの自作で、高級オーディオを超えるウルトラhigh CP宣言されたのには正直痺れました。 20cmのバックロードホーンで大型高級システムを超える音を出しますと断言されたのです。

 現在長岡先生に関するエピソードはいろいろと綴られていますが、当時も今も、純粋に音響関係の執筆だけで暮らせるプロの文筆家としては長岡先生が唯一に近い存在であったとの噂があります。それだけ高い人気があった。また持病の喘息でご苦労があったようで、スピーカー工作に関しては設計と音出し調整担当で、実際のSP製作自体は出版編集側が行ったようです。
 人気作家として、当時の庶民の音楽(ステレオ)への渇望を正しく読み取り、欧米製品へのあこがれと、当時盛んであった電機メーカーの試作するステレオ機器への辛口批評は(まちがいだらけの車選びと同じく)一般消費者のこころに刺さるものでありました。
 
 ところが、長岡先生の提示された自作スピーカーの世界ですが(先生の想定を超える域まで音質を高められた強者も一部には居たようですが・・・)大半は調整が難しく悲惨な音もしばしば。結局、長岡先生と全く同じ機器を買いそろえる形(長岡教と呼ばれた)となったようです。
 また雑誌の特集記事との連動という性格から、モデルチェンジも頻回に行われ、バックロードホーン20cmフルレンジ2発 から 最後は専用シアターに合わせた音響共鳴管式の巨大システムになり フォロワー達は行き場を失う結果となりました。

 長岡先生はJBLの15インチBKシステムやフロントロードシステムを良くご存知で、またそれらは日本家屋には入らないことから、日本に合わせてダウンサイジングさせつつ、同時にフルレンジ軽量コーン、強力な磁気回路のユニットの出す、切れの良いサウンドを如何に低価格に実現するかをテーマに、保守的なメーカーの間に切り込むという戦略を実行したのかもしれません。それは一部批評家陣が手放しで海外製高級品(ハイエンドオーディオ)を褒め、輸入代理店寄りの姿勢、保守的趨勢に対して、一般オーディオファンの感じていた違和感、反骨精神を汲み取る形となり、草の根革命家的な一種の熱狂を引き起こしたのかもしれません。

 しかしながら、小口径フルレンジはとても敏感で、なおかつホーンの低域は量感が不足し、量感を求めると不明瞭でボワンとした音になりやすく、幅広く音楽を愉しむにはむしろ向いていない機器でした。長岡先生は高音質レコード批評で有名ですが、頻繁にレコードを取り替えながら音の変化に重点を置いて視聴するタイプであったらしく、長時間ゆったりと心地よい音楽に浸る姿は少なかったとの噂です。
 プロのライターとして、書くことに専念して、オーディオは仕事として取り組んでいた・・・ そうした意味では 我々消費者(特に音楽を聴きたい側)の本当の意味での指南役として相応しかったのかは・・・・ 今となっては判りません。

 とにかく、長岡先生はJBLの15インチBKシステムやフロントロードシステムの能力を知っており、それを一つの目標として挑戦し、独自の世界(原音再生 爆音 民族音楽)に入っていったようです。

 我々一般人としては、そこまでエッジな音響を求めているわけではなく、どちらかというと音楽を心ゆくまで愉しみたい(中道)方ですから、そうした普通のいい音、Stereo本来の世界を取り戻したいと思います。

 最近流行の小口径ユニットのアレー方式スピーカーは高い割には音が正直寂しい感じがしますので、憧れの源であり、長岡先生の密かな目標でもあった、Altec、JBL、Tru-sonicの黄金期の製品 音楽性を意識し豊かな時代に設計製造された製品群が手の届くところに来た今こそ、それらの世界を手に入れたいのです。

 管球王国は、そうしたニーズにズバリ応えていますね。

 
 
 
 

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